2024.8.30
ディーゼルの躍進
ファッション界を変えた3つの秘密
メンズファッション誌
「smart」元編集長
佐藤 誠二朗さん
メンズ雑誌「smart」をはじめ、これまで多数の編集・著作物を手掛けている佐藤さん。
2018年11月には「ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新」が発売。
こちらを本屋で見かけて読まれた方もいるのでは!?
そんな佐藤さんが当店の取り扱いアイテムをコラムで熱く語ってくれるコーナーです!
実はあまり知られていないブランドの歴史などもこれを見れば知ることができるかも!?
1990年初頭、世界に躍り出る
ファッション好きなら知らぬ者はない、泣く子も黙るイタリアの有名ブランド、ディーゼル。
独特の世界観によってファッション界をリードし、世界中に数多くのファンを持つこの巨大ブランドについてひも解きます。
まずはヒストリーから見ていきましょう。
ディーゼルの創業者は、1955年にイタリア北部の町・ブルージネに生まれたレンツォ・ロッソという人物です。
彼は15歳のとき、人生初の服作りを試みます。母親のミシンを使ってローライダーのベルボトムジーンズを製作。みずから着用するとともに、友人たちには3500リラで販売したのです。
これで服作りに目覚めたレンツォは、ヴェニス大学を中退したのちの1976年、「モルテックス」という衣料品メーカーで働きはじめます。
1978年、彼は父親から借りた資金で同社の株式の40%を購入し、経営権を獲得。社名を「ディーゼル」と変更し、ディーゼルブランドをはじめとする複数のブランドのジーンズの販売を手がけるようになりました。
1985年には、ディーゼルブランドの権利を50万ドルで買い取り、ロッソがディーゼル社唯一のオーナーとなります。
マーケティングをアメリカから、創造性をイタリアから、システムをドイツから学んだと述べる彼は、その後、業績を順調に伸ばしていきます。
1991年には「Guides for Successful Living」と銘打つキャンペーンを通じ、初の国際的なマーケティング活動を開始。このキャンペーンは1992年、世界有数の広告賞であるカンヌライオンズ国際広告祭でグランプリを受賞するほどの反響を呼びます。
そしてディーゼルは一気に、グローバルなファッションブランドとして、世界のおしゃれ好きから認識されるようになったのです。
さらに1995年、ディーゼルは第二次世界大戦明けの平和祝賀会で、キスをする2人の船員をフィーチャーした広告キャンペーンを展開します。
この写真は写真家デヴィッド・ラシャペルによって撮影されたもので、同性愛者のカップルを用いた、史上初の大規模公共広告でした。
この大胆な施策は社会的なニュースとなり、ディーゼルというブランド名とその姿勢を世界に轟かせることになりました。
革新的で挑戦的な姿勢を維持するブランド
ディーゼルはインターネットの利用も、他のブランドに先駆けています。
初のファッション小売ウェブサイトを立ち上げ、国際的なオンライン販売を開始したのは1997年のことでした。
一方でリアルな世界での展開も怠らず、1999年にはニューヨーク、サンフランシスコ、ローマ、ロンドン、さらにベルリン、バルセロナ、パリにも新たな旗艦店を開き、ディーゼルの販売拠点を強化します。
2000年代に入ると、ロッソはディーゼルの世界的なファッション市場でのシェアを拡大するため、自社所有の店舗をさらに増やすとともに、積極的なブランドコラボレーションを展開。
2002年には、ロッソが代表を務める親会社「オンリー・ザ・ブレイブ」傘下にディーゼルを置くとともに、同社はメゾン・マルタン・マルジェラやヴィクター&ロルフ、マルニなどのファッション企業を買収します。
こうしてディーゼルを筆頭に掲げるオンリー・ザ・ブレイブ社は、総合ファッションホールディングカンパニーへと成長していきました。
2009年の段階で、ディーゼルの売上高は13億ユーロを超え、2010年には世界の店舗数が400を超えました。
2013年春、ロッソはレディ・ガガの元スタイリストであるニコラ・フォルミケッティをディーゼルのアーティスティック・ディレクターに任命。この発表はファッション界で大注目され、フォルミケッティはディーゼルの製品、コミュニケーション、マーケティング、インテリアデザインを監督する責任を負うことになります。
2020年10月には、ベルギー人デザイナーのグレン・マーテンスがディーゼルのアーティスティック・ディレクターに就任。彼がデザインした2022年秋冬のコレクションはミラノで開催され、好意的な評価を得ます。
とまあ、創業から最近の動きまで一気に見てきましたが、なんと華々しいことでしょう。
ディーゼルは、世界の舞台に躍り出た1990年初頭以降、常に時代の先端を行くブランドとして君臨。現在もその革新的で挑戦的な姿勢は維持されており、今後の動向がますます注目されているのです。
日本でのディーゼル人気
ディーゼルが日本市場に本格進出したのは、1980年代末から1990年代初頭にかけてのことです。
当時の日本のファッションシーンでは、「渋カジ」「アメカジ」「キレカジ」といった言葉が踊り、アメリカやヨーロッパ諸国のカジュアルブランドが急速に普及していました。
特にデニムの人気が高く、ディーゼルはそのヴィンテージ感あふれる素材や、定番ブランドにはない大胆なデザインが注目され、若者の間で瞬く間に大きな支持を獲得します。
1990年代には日本国内での直営店展開も進み、ファン層は急速に広がりました。
この時期から、ディーゼルは日本のファッションメディアでも頻繁に取り上げられようになります。その斬新な広告キャンペーンがしばしば大きな話題となり、ブランドイメージを強化する一助となりました。
特に「Only the Brave」というスローガンを掲げ、ブランドの強い独立精神や革新性をアピールしたキャンペーンは、多くのおしゃれ好きの心に刺さり、ディーゼルというブランドの立ち位置を強く印象づけました。
2000年代になると、日本市場向けの限定コレクションやスペシャルアイテムが続々とリリースされ、ディーゼルは日本においてさらに確固たる地位を築きます。
ディーゼルは日本のストリートファッションシーンに深く根づくようになり、多くのスタイリストやデザイナーに影響を与える存在となりました。
そして日本ではこの頃から、ディーゼルとは単なるファッションブランドではなく、ライフスタイルを象徴するブランドと認識されるようになります。
2010年代に入ると、ディーゼルはサステナビリティやデジタルマーケティングの分野でも新たな挑戦をスタート。すると日本市場でもこれらの新たな取り組みが支持され、ブランドイメージは進化していきます。
特に環境問題や社会的課題に対する積極的な取り組みは、日本の若者に強い共感を呼び起こしています。
ディーゼルのユニークな世界観
ディーゼルは他のブランドとは一線を画す、非常に独特なアイデンティティとデザイン哲学を持っています。
ブランド名には、創業当時もっともエネルギッシュでグローバルなものの象徴だった“ディーゼル燃料”を採用。
その名にふさわしいエネルギーに満ちたブランドとして、「DIESEL」の力強いロゴタイプとともに世界中へ浸透しています。
1980年代に導入されたネイティブ・アメリカンの戦士をモチーフにした“モヒカンロゴ”も有名です。
このロゴは、ディーゼルの自由で反抗的なスピリットを体現しており、ブランドの象徴として広く認識されています。
ディーゼルのデザインは、ときに過激ともいえるほどの大胆さと遊び心にあふれています。カジュアルウェアはユニークな洗い加工やダメージ加工、パッチワークなど特徴的なディテールが満載。
これらのデザインは単なるファッションではなく、一種のアートとしても捉えられており、ディーゼルのアイテムは自己表現の手段として多くの人々に愛されています。
ディーゼルはまた、色彩や素材選びにおいても、常に新しい挑戦を続けています。
ビンテージ感を活かした素材から、テクノロジーを駆使した未来的な素材まで、多様なテイストを取り入れつつも、一貫してディーゼルらしさを保つことに成功。
そのアイテムは、視覚的にも触覚的にも印象的で、着る人に特別な体験を提供します。
ディーゼルは社会的なメッセージを発信するためのプラットフォームとして、ファッションを利用していおり、その世界観はファッションブランドの枠を超え、広く文化的な影響も及ぼしています。
環境問題や人権問題に対する意識を高めるためのキャンペーンを展開し、社会的な変革を促そうとする姿勢も見られます。こうしたディーゼルのキャンペーンはときに挑発的で、見る者に強い印象を与え、議論を巻き起こすことも少なくありません。
ディーゼルのファッションアイテムには、ブランドの持つ独特な世界観、哲学、価値観、そして社会へのメッセージが込められています。
ディーゼルのアイテムを使う際は、少しだけそのことに思いを馳せてみると、より一層このブランドの魅力を感じられるのではないかと思います。